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スレッド91: 新説 多志田道  と  幻の 多志田滝
No.0: 福岡野につづく道5   治田鉱山古道さがし
1. 人足道のモミ

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2. つづら折れの多志田道

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3. 幻の多志田滝

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日時: 2010/05/10 07:29
名前: わりばし ID:2a7vkiks

【日 時】2010年5月2日(日)
【山 域】鈴鹿
【コース】青川P7:13---8:50丸山---11:46落書きのブナ---14:49治田峠---16:22青川P
【メンバー】単独

 今日は治田鉱山の古道のひとつ多志田道の探索だ。多志田道は、多志田谷の上流にある多志田銀山から鉱石を運んだ道である。多志田銀山には精錬する場所が無かったことから鉱石をすべて福岡野まで運び精錬を行っていた。南河内山図(1774年)には孫太尾根を通る道は多志田道と書かれており、この時代においては多志田銀山からの鉱石を運ぶための道として牛道が使われていたことがわかる。

 いつもの青川駐車場に駐車。林道を少し上った堰堤の所から尾根に取り付く。取り付き地点は植林になっているので途中までは難なく上っていける。植林地を抜けるとヤブと岩の尾根になる。急な上りだがヤブのおかげで危なくはない。しかし、岩がもろいので落石が多い。複数で上るのは危険だと思う。クラを乗り越え上っていくと樹林帯になり登山道に出た。大砂利と清七オトシの間の尾根を上ったことになる。尾根の両側からは落石の音が時たま聞こえる。あまり気持ちのよいものではない。尾根の上部からは対岸のクゼン谷の二筋の滝が見える。今日は水量が多いようだ。登山道を10分ほど上ると丸山に着いた。

 追分に着くと福岡野から登ってくる牛道に合流する。追分にも目印となるミズナラが残されている。気持ちのよい尾根の牛道を登って行くと草木の東側のコルから少し上った二次林の大木の茂る雰囲気の良いコバに着く。西尾本に「多志田側へ下って行く幅の広い立派な道がある。多志田谷側にはツヅラ尾という支尾根があり、地名からみておそらくこの尾根を下っているものとみられる。」という記述のある地点だ。

 ここには杉やモミの大木がいくつか残されており他の地点と比べて特別な場所である事がわかる。広さもあり鉱石の集積場として利用されたのではないかと思う。杉の大木をながめていると、杉が不自然に並んでいることに気づいた。とりあえず大木を追って歩く事にした。大木は草木をトラバースしながら続いている。この大木のひとつが前回のレポに書いた340cmのモミノキになる。目印となる大木はなおも続き、大きなモミノキに出くわした。測ってみると380cmあった。トラバースルートの目印としてモミノキや杉の大木が残されている。結局草木のピークの手前で道は落ちているもののそこまでは獣道として残っている。

 この古道は、多志田鉱山から鉱石を運び出す人足道と思う。これまで、草木の三光谷側のトラバースルートは注目されていたが、多志田谷側にもトラバースルートがあったのだ。多志田鉱山からの鉱石を牛道に運び出すルートは多志田滝より孫太夫尾を上り草木をトラバースして東側のコバにつながっていた事になる。孫太夫尾とは、多志田谷より孫太尾根に登っている支尾根である。このコバは、鉱石の集積場として使われた特別な場所なのだ。重い鉱石を運ぶのに、わざわざ尾根を越えて三光谷側の牛道を使うという発想には無理がある。多志田谷側をトラバースして高さを上げずに草木を巻いたと考えるのが自然だと思う。

 西尾本で草木の東側のコバから「牛馬の通行も充分可能で現在でも歩けるようだ。」とした道は、多志田鉱山からの人足道の事だと思う。これだけの規模で大木を配置している点から考えても間違いないであろう。ツヅラ尾に下る道ではないと思う。大規模な道をツヅラ尾から下ろしているのならば古地図などなんらかの情報が残っているはずだが、そうしたものは見つかっていない。また、大規模な道をツヅラ尾を使って下ろす理由も見つからない。少なくとも大規模で立派な道は多志田道と考えていいように思う。

 草木を越え、落書きブナの所から多志田谷側に下って行く。目印となる大木は無いが下って行く。すると谷があらわれ行きづまった。惣五郎谷右岸尾根を下ったようである。孫太夫尾ではない。そして、孫太尾根を上り返し、あきらめて治田峠経由で帰った。

【日 時】2010年5月4日(火)
【コース】福岡野7:30---9:20追分---10:14孫太夫尾分岐---11:47多志田滝---12:30孫太夫尾のコバ13:02---13:21孫太尾根---14:54福岡野
【メンバー】単独

 孫太夫尾の確認ができていないので、再びチャレンジすることにした。今日は半年振りに福岡野から歩く事にした。上平溜というため池横に車を駐車し桃ノ木尾をめざす。くわしくは「福岡野につづく道」をヤブコギ検索旧猿人で検索してみてください。取り付き地点の牛道はシダとゼンマイにおおわれていたが、後は大きな変化は無い。桃ノ木尾の林道に寸断されている牛道を上っていくと多志田谷から上がってくる支尾根との分岐に到着。前回来た時には気づかなかったが杉の植林の真ん中にモミノキの大木がある。杉と同じく枝がはらわれ、よく見ないとわからないが、明らかに太さが違う。桃ノ木尾の分岐の目印として残されたモミノキだろう。よく、伐られずに残っていたものだ。

 追分から草木の東のコバに向かう。よく見ると、登山道の多志田谷側にモミノキや杉の大木が並んでいる。多志田道は登山道の多志田側を通っていたのだろう。そして、コバのあたりから草木をトラバースしていった。今回は、孫太夫尾の探索がメインなので登山道を歩く。落書きのブナをすぎ孫太夫尾への分岐になっているコルに着く。西側にトラバースしながら多志田谷方向に下りている。目印となるモミノキもあり、間違いない。次の瞬間、斜面が落ちて目の前の道が消えている。渡たれそうにもないので、再び上り返し高巻く。対岸にはモミノキが見えていたので、それを目標に下りていく。モミノキまで下り進もうとすると、反対側も落ちている。つまり、このモミノキは両側が落ちた斜面の中州のような場所に立っている。これでは下りられないので、今度は登山道まで上り返す。

 さて、どうするか。これ以上県境尾根側に登ると孫太夫尾には下りられなくなるので、駄目もとで急な斜面を下りて行く。すると途中からしっかりしたつづら折れの道が出てきた。目印となるモミノキやミズナラなどもあり古道の雰囲気をかもし出している。しかも、これまでの古道とは比べ物にならないぐらいしっかりしている。昭和55年発行のアルパインガイド「鈴鹿の山」には多志田谷道として紹介されているのだから当然とも言える。  

 孫太夫尾というのは、多志田銀山の採掘を行うために新町新田を開いた初代庄屋東松孫太夫の名前からつけられている。この尾根が、いかに鉱山と密接な関係を持っているのかがわかる。西尾本には、孫太夫尾と孫太尾根の関係を「鉱山も衰退し、土地の状況を知る人も少なくなって、孫太夫尾の実態が忘れられてしまったと考えられる。そして、県境から東に張り出す長大な尾根自体にその名が多少変化しながら使われたのではなかろうか。」と述べられている。なるほどと思う。

 孫太夫尾は、想像していたのとは違って、広くゆったりとしたコバの雰囲気を感じさせる尾根だ。人に歩かれなくなったきれいなつづら折れの道が続いている。途中には仲蔵屋敷という地名も残されており、その名が想像できるような広々とした場所もある。これだけのゆるやかな広々とした尾根が多志田谷側にあるとは思いもしなかった。これにはさすがに驚いた。尾根は順調に下り、滝の水音が近づいてくる。このあたりから道の斜度が急になってくる。あやしくなりはじめた急な斜面を下りると多志田谷にたどりついた。谷は両側を急峻な崖に囲まれ、なかなか手ごわそうである。そして、正面に幻の多志田滝が流れている。多志田滝は昔のエアリアマップには記載されているが、現在のエアリアマップには載っていない。通行禁止の区間が多志田谷の途中にあるために、意図的に削除されたのかもしれない。地図から抹消された多志田滝をながめると感慨深いものがあった。そして、この上流にいくつかの坑口がねむっている。

 ゆったりとした尾根まで上り返し、そこで昼食にした。トマトスープパスタとシュークリームを食べる。シュークリームは暑さで、クリームがとけていた。気持ちのよいコバで食べる昼食は格別だ。

 孫太尾根に上っていくとつづら折れの道が消えた。草木側にトラバースしはじめた地点で、斜面が落ち道が消えた。先を見ると落ちた斜面の延長線上に目印のモミノキが立っていた。ここからは、道の無い急な斜面を上り孫太尾根に着いた。多志田道は、つづら折れの昔の鈴鹿の雰囲気を持った良い道であった。多志田谷の一部が通行禁止の区間となっており谷から上ることが出来ないのと、孫太尾根からの道が2箇所斜面が落ちて寸断されているために忘れさられていったのだろう。孫太夫尾か多志田滝を意識して下りない限りたどり着く事はないだろう。それでも、滝の下り口には黄色のテープが2箇所と谷の手前で斜面が急になりはじめる箇所に古い赤テープが1箇所あった。

 あとは孫太尾根と桃ノ木尾を下るだけである。多志田道を歩いて気づいたのは、多志田谷側の古道の目印にはモミノキが多く使われている。三光谷側の古道には見られなかったものだ。多志田谷側にはもともとモミノキが多く茂っていたのかもしれない。

No.1: Re: 福岡野につづく道5   治田鉱山古道さがし
1. 将軍ブナ

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2. 将軍ブナ2

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日時: 2010/05/05 20:24
名前: 宮指路 ID:BJ9DSrLc

わりばしさんこんばんは

> 【日 時】2010年5月2日(日)
> 【山 域】鈴鹿

私はこの日、鞍掛峠~三国岳~将軍ブナを見に行きました。昨年のこの時期に烏帽子岳から将軍ブナを見に行ったのですが尾根の南側ばかり探していて見つかりませんでした。今年はどうしても見たくてハリマオさんに場所を教えてもらい念願を果たしました。

>  今日は治田鉱山の古道のひとつ多志田道の探索だ。多志田道は、多志田谷の上流にある多志田銀山から鉱石を運んだ道である。多志田銀山には精錬する場所が無かったことから鉱石をすべて福岡野まで運び精錬を行っていた。南河内山図(1774年)には孫太尾根を通る道は多志田道と書かれており、この時代においては多志田銀山からの鉱石を運ぶための道として牛道が使われていたことがわかる。

最近、牛道と聞くと何だか気になって、もののけ姫のDVDを借りて来たり、西尾本を図書館で借りて来たりしています。
>
>  いつもの青川駐車場に駐車。林道を少し上った堰堤の所から尾根に取り付く。取り付き地点は植林になっているので途中までは難なく上っていける。植林地を抜けるとヤブと岩の尾根になる。急な上りだがヤブのおかげで危なくはない。しかし、岩がもろいので落石が多い。複数で上るのは危険だと思う。

4月11日に孫田尾根から同じようなコースを下りましたが私が下りた場所はもっと下のダムの下流です。下りた場所は八右衛門ゾロと呼ばれる辺りです。今度登りに使えるなと思っています。

>  追分に着くと福岡野から登ってくる牛道に合流する。追分にも目印となるミズナラが残されている。

追分というのはどの辺りでしょうか?

>気持ちのよい尾根の牛道を登って行くと草木の東側のコルから少し上った二次林の大木の茂る雰囲気の良いコバに着く。西尾本に「多志田側へ下って行く幅の広い立派な道がある。多志田谷側にはツヅラ尾という支尾根があり、地名からみておそらくこの尾根を下っているものとみられる。」という記述のある地点だ。
そのコバも行って見たいものです。

>  ここには杉やモミの大木がいくつか残されており他の地点と比べて特別な場所である事がわかる。広さもあり鉱石の集積場として利用されたのではないかと思う。杉の大木をながめていると、杉が不自然に並んでいることに気づいた。とりあえず大木を追って歩く事にした。大木は草木をトラバースしながら続いている。この大木のひとつが前回のレポに書いた340cmのモミノキになる。目印となる大木はなおも続き、大きなモミノキに出くわした。測ってみると380cmあった。トラバースルートの目印としてモミノキや杉の大木が残されている。結局草木のピークの手前で道は落ちているもののそこまでは獣道として残っている。

ますます興味が沸いてきます。
>
>  この古道は、多志田鉱山から鉱石を運び出す人足道と思う。これまで、草木の三光谷側のトラバースルートは注目されていたが、

でも一部の人の間でね

>多志田谷側にもトラバースルートがあったのだ。多志田鉱山からの鉱石を牛道に運び出すルートは多志田滝より孫太夫尾を上り草木をトラバースして東側のコバにつながっていた事になる。
それは素晴らしい発見でしたね。

>孫太夫尾とは、多志田谷より孫太尾根に登っている支尾根である。このコバは、鉱石の集積場として使われた特別な場所なのだ。重い鉱石を運ぶのに、わざわざ尾根を越えて三光谷側の牛道を使うという発想には無理がある。多志田谷側をトラバースして高さを上げずに草木を巻いたと考えるのが自然だと思う。

なるほど自然な推論ですね。このコースを地図上に書いて見たいものですね。


宮指路
No.3: Re^2: 福岡野につづく道5   治田鉱山古道さがし   [No.1への返信]
1. 追分

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2. 並んだ杉の木

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3. トラバースする多志田道

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日時: 2010/05/06 06:16
名前: わりばし ID:gb2EdIac

おはようございます、宮指路さん。

> 私はこの日、鞍掛峠~三国岳~将軍ブナを見に行きました。昨年のこの時期に烏帽子岳から将軍ブナを見に行ったのですが尾根の南側ばかり探していて見つかりませんでした。今年はどうしても見たくてハリマオさんに場所を教えてもらい念願を果たしました。

これが有名な将軍ブナですか。

このあたりに大きな木がたくさん残っていたころには桑名のかぶら盆の木地も地元で調達していたのでしょうね。

> 最近、牛道と聞くと何だか気になって、もののけ姫のDVDを借りて来たり、西尾本を図書館で借りて来たりしています。

タタラ場だけでなく牛飼も出てきますから・・いいですね。

こうして遊ばせてもらっているのは西尾本のおかげです。

>>  追分に着くと福岡野から登ってくる牛道に合流する。追分にも目印となるミズナラが残されている。
>
> 追分というのはどの辺りでしょうか?

丸山の西側にある林道から上ってくる道との合流点です。

福岡野に下りる道と丸山を通り神武祠に下りる道の分岐になります。

>>気持ちのよい尾根の牛道を登って行くと草木の東側のコルから少し上った二次林の大木の茂る雰囲気の良いコバに着く。西尾本に「多志田側へ下って行く幅の広い立派な道がある。多志田谷側にはツヅラ尾という支尾根があり、地名からみておそらくこの尾根を下っているものとみられる。」という記述のある地点だ。
> そのコバも行って見たいものです。

草木の東側のコルを少し上った所です。

牛道も上下につけられており広々としています。

目印はモミノキと杉の大木です。

>>  ここには杉やモミの大木がいくつか残されており他の地点と比べて特別な場所である事がわかる。広さもあり鉱石の集積場として利用されたのではないかと思う。杉の大木をながめていると、杉が不自然に並んでいることに気づいた。とりあえず大木を追って歩く事にした。大木は草木をトラバースしながら続いている。この大木のひとつが前回のレポに書いた340cmのモミノキになる。目印となる大木はなおも続き、大きなモミノキに出くわした。測ってみると380cmあった。トラバースルートの目印としてモミノキや杉の大木が残されている。結局草木のピークの手前で道は落ちているもののそこまでは獣道として残っている。
>
> ますます興味が沸いてきます。

写真を貼っておきます。

>>  この古道は、多志田鉱山から鉱石を運び出す人足道と思う。これまで、草木の三光谷側のトラバースルートは注目されていたが、
>
> でも一部の人の間でね

西尾本愛好者とかヤブコギの皆さんですかね。

>>多志田谷側にもトラバースルートがあったのだ。多志田鉱山からの鉱石を牛道に運び出すルートは多志田滝より孫太夫尾を上り草木をトラバースして東側のコバにつながっていた事になる。
> それは素晴らしい発見でしたね。

前回に来た時、なんでモミノキの大木がこんな斜面にあるのかなと思っていました。

これで、スッキリしました。

>>孫太夫尾とは、多志田谷より孫太尾根に登っている支尾根である。このコバは、鉱石の集積場として使われた特別な場所なのだ。重い鉱石を運ぶのに、わざわざ尾根を越えて三光谷側の牛道を使うという発想には無理がある。多志田谷側をトラバースして高さを上げずに草木を巻いたと考えるのが自然だと思う。
>
> なるほど自然な推論ですね。このコースを地図上に書いて見たいものですね。

草木の頂上付近から西は何箇所か落ちていますが。

                                               わりばし
No.2: Re: 福岡野につづく道5   治田鉱山古道さがし
1. 新堰堤に積もる土砂。

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2. 仮設林道の崩壊箇所1(旧林道は川の下)

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3. 仮設林道の崩壊箇所2

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日時: 2010/05/06 00:01
名前: エム ID:/jUc6zCQ

はじめまして、わりばし さん。
福岡野シリーズの投稿、興味深く拝見させて頂いています。今後ともよろしくお願い致します。

連休中は快晴に恵まれ、青川三昧のようでしたね。
実は、私も5/2に青川から入山。日岡稲荷付近の尾根から直接銚子岳に上がり、セキオノコバ当たりの偵察に向かう積もりでした・・・・・が、ヤハズ隧道を覗いた時にカメラを入水させてしまい、意気消沈、カメラの蘇生を兼ねて10:00~11:30くらいの間、治田峠から多志田山間を彷徨いていました(昼寝含む)。
当初目的はわりばしさんの影響で『牛道』。
遠足尾根から孫太尾根の周回路があったとして、県境尾根上で最も難所と思われる銚子岳当たりの取り回し方でしたが・・・当分諦めのようです。

>  今日は治田鉱山の古道のひとつ多志田道の探索だ。多志田道は、多志田谷の上流にある多志田銀山から鉱石を運んだ道である。多志田銀山には精錬する場所が無かったことから鉱石をすべて福岡野まで運び精錬を行っていた。南河内山図(1774年)には孫太尾根を通る道は多志田道と書かれており、この時代においては多志田銀山からの鉱石を運ぶための道として牛道が使われていたことがわかる。
変に拘っているようですが、牛の通行方法に非常に興味を持っています。運搬効率を考慮した場合(牛道の幅員は十分に広い物とは思われないので)、要所要所に配した荷駄溜まりを利用した一方通行?などの工夫も凝らされていたに違いないと考えています。
>
>  いつもの青川駐車場に駐車。林道を少し上った堰堤の所から尾根に取り付く。取り付き地点は植林になっているので途中までは難なく上っていける。植林地を抜けるとヤブと岩の尾根になる。急な上りだがヤブのおかげで危なくはない。
取り付きは造成中の堰堤の上流側でしょうか?
>
>  追分に着くと福岡野から登ってくる牛道に合流する。追分にも目印となるミズナラが残されている。気持ちのよい尾根の牛道を登って行くと草木の東側のコルから少し上った二次林の大木の茂る雰囲気の良いコバに着く。
孫太尾根は未踏なので、今度この牛道を辿ってみたいと思います。
ちなみに、遠足尾根の牛道を薮をかき分けながら下った時、いきなり足下が消失し(標高930m付近で)クマザサにぶら下がって命拾いしたことがありました(崩壊箇所には気を付けましょう)。
>
>  ここには杉やモミの大木がいくつか残されており他の地点と比べて特別な場所である事がわかる。広さもあり鉱石の集積場として利用されたのではないかと思う。
集積所?荷駄溜まり?やはり、同じように感じられますか。

> 重い鉱石を運ぶのに、わざわざ尾根を越えて三光谷側の牛道を使うという発想には無理がある。多志田谷側をトラバースして高さを上げずに草木を巻いたと考えるのが自然だと思う。
面白いですね。当時光景が思い描けるようです。
>
>  西尾本で草木の東側のコバから「牛馬の通行も充分可能で現在でも歩けるようだ。」とした道は、多志田鉱山からの人足道の事だと思う。これだけの規模で大木を配置している点から考えても間違いないであろう。ツヅラ尾に下る道ではないと思う。大規模な道をツヅラ尾から下ろしているのならば古地図などなんらかの情報が残っているはずだが、そうしたものは見つかっていない。また、大規模な道をツヅラ尾を使って下ろす理由も見つからない。少なくとも大規模で立派な道は多志田道と考えていいように思う。
そういえば、牛に荷を担がせた?荷車を引かせた?(牛道探索の重要な条件になりますので)。
荷車の場合、牛の図体+荷車を考慮すると、つづら折れの道は少々無理があるように思いますが・・・・。
>
>  草木を越え、落書きブナの所から多志田谷側に下って行く。目印となる大木は無いが下って行く。すると谷があらわれ行きづまった。惣五郎谷右岸尾根を下ったようである。孫太夫尾ではない。そして、孫太尾根を上り返し、あきらめて治田峠経由で帰った。
治田峠へ向かう道すがらも、じっくり観察すると牛道の名残が4~5カ所は見られたような気がします。
特に迷い尾根の当たりは大きく滋賀県側に迂回しながら尾根に上がるような形跡を感じました。
案外、迷い尾根の様な広い場所は、人や牛の宿泊箇所になっていたのかもしれない・・・・・などと昼寝をしながら想像していました。
>
> 【日 時】2010年5月4日(火)
ウッ、この日も青川へ・・・・・。
私は山菜狩りでした(中津川方面)。ワラビのみですが・・・・・大収穫でした。

なお、入水前に撮影した。青川の状況写真を添付しました。
合計5回の素足徒渉には閉口しました。今後、ヤスミコバの先の大堰堤までは、サンダル履きで歩くことにします。

     エム
No.4: Re^2: 福岡野につづく道5   治田鉱山古道さがし   [No.2への返信]
1. 桃ノ木尾の牛道

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2. 丸山(桃ノ木尾方面から見ると本当に丸いです)

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3. 孫太夫尾の人足道

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日時: 2010/05/07 05:36
名前: わりばし ID:21Bmy2eY

はじめまして、エム さん。

> 福岡野シリーズの投稿、興味深く拝見させて頂いています。今後ともよろしくお願い致します。

こちらこそ、よろしくお願いします。

> 当初目的はわりばしさんの影響で『牛道』。
> 遠足尾根から孫太尾根の周回路があったとして、県境尾根上で最も難所と思われる銚子岳当たりの取り回し方でしたが・・・当分諦めのようです。

遠足尾根から孫太尾根の周回路については、どうかなと思っています。

遠足尾根の牛道が何のために使われたかがわかると、はっきりすると思います。

> 変に拘っているようですが、牛の通行方法に非常に興味を持っています。運搬効率を考慮した場合(牛道の幅員は十分に広い物とは思われないので)、要所要所に配した荷駄溜まりを利用した一方通行?などの工夫も凝らされていたに違いないと考えています。

集積場もしくは牛が折り返せるように牛道が作ってある場所もいくつかあります。

>>  いつもの青川駐車場に駐車。林道を少し上った堰堤の所から尾根に取り付く。取り付き地点は植林になっているので途中までは難なく上っていける。植林地を抜けるとヤブと岩の尾根になる。急な上りだがヤブのおかげで危なくはない。
> 取り付きは造成中の堰堤の上流側でしょうか?

いや、もっと下流です。

>>  追分に着くと福岡野から登ってくる牛道に合流する。追分にも目印となるミズナラが残されている。気持ちのよい尾根の牛道を登って行くと草木の東側のコルから少し上った二次林の大木の茂る雰囲気の良いコバに着く。
> 孫太尾根は未踏なので、今度この牛道を辿ってみたいと思います。

是非、行ってみてください。

> ちなみに、遠足尾根の牛道を薮をかき分けながら下った時、いきなり足下が消失し(標高930m付近で)クマザサにぶら下がって命拾いしたことがありました(崩壊箇所には気を付けましょう)。

遠足尾根の牛道は採石場方面に下りていますから、危ない場所もあるでしょうね。

>>  ここには杉やモミの大木がいくつか残されており他の地点と比べて特別な場所である事がわかる。広さもあり鉱石の集積場として利用されたのではないかと思う。
> 集積所?荷駄溜まり?やはり、同じように感じられますか。

そうですね。

それと、県境尾根から続く牛道と多志田道(人足道)の合流地点でもあります。

> そういえば、牛に荷を担がせた?荷車を引かせた?(牛道探索の重要な条件になりますので)。
> 荷車の場合、牛の図体+荷車を考慮すると、つづら折れの道は少々無理があるように思いますが・・・・。

荷車ではなく牛に荷を担がせたのだと思います。

もののけ姫に出てくる牛飼のイメージでいいのかなと思っています。

> 治田峠へ向かう道すがらも、じっくり観察すると牛道の名残が4~5カ所は見られたような気がします。
> 特に迷い尾根の当たりは大きく滋賀県側に迂回しながら尾根に上がるような形跡を感じました。
> 案外、迷い尾根の様な広い場所は、人や牛の宿泊箇所になっていたのかもしれない・・・・・などと昼寝をしながら想像していました。

あのあたりは蛇谷方面からの人足道と檜谷や三光谷からの人足道が合流する地点ですので、峠としてにぎわっ

たと思います。

> 私は山菜狩りでした(中津川方面)。ワラビのみですが・・・・・大収穫でした。

いいですね。桃ノ木尾は、ゼンマイがいっぱいはえていました。

> 合計5回の素足徒渉には閉口しました。今後、ヤスミコバの先の大堰堤までは、サンダル履きで歩くことにします。

私も2日の日に渡渉に苦労しました。

                                                 わりばし



No.5: Re: 福岡野につづく道5   治田鉱山古道さがし
1. 多志田川右岸の坑口跡

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2. 仲蔵屋敷付近のミズナラ(この尾根では一番太いと思う)

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3. 孫太尾根の牛道

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日時: 2010/05/11 00:07
名前: あきたぬき ID:/HEC4IOE

わりばしさん こんばんは

えらい亀レスですがわりばしさんへのレスはいろいろ資料や自分の山行を確認しないといけないので時間が掛かります。なにとぞご勘弁を。

>  今日は治田鉱山の古道のひとつ多志田道の探索だ。多志田道は、多志田谷の上流にある多志田銀山から鉱石を運んだ道である。多志田銀山には精錬する場所が無かったことから鉱石をすべて福岡野まで運び精錬を行っていた。南河内山図(1774年)には孫太尾根を通る道は多志田道と書かれており、この時代においては多志田銀山からの鉱石を運ぶための道として牛道が使われていたことがわかる。

今度は多志田銀山ですか。多志田銀山は南河内山より時代が古いのと、資料が少ないからなぞが多いですよね。小野田セメントのせいで入山禁止にも関係するし。


>  林道を少し上った堰堤の所から尾根に取り付く。取り付き地点は植林になっているので途中までは難なく上っていける。植林地を抜けるとヤブと岩の尾根になる。急な上りだがヤブのおかげで危なくはない。しかし、岩がもろいので落石が多い。複数で上るのは危険だと思う。クラを乗り越え上っていくと樹林帯になり登山道に出た。大砂利と清七オトシの間の尾根を上ったことになる。

あんなところから取り付こうとするなんて、わりばしさんも相当変わってますねえ。
僕も宮指路さんと同じく神武祠から南の尾根をまっすぐに降りたことがあるのですが、そのときに出くわした水平道?を伝って、八右衛門ゾロ付近までトラバしたことがあります。結局、水平道と思えたのは途中から怪しくなって、鹿道?だったかも、でも鹿道にしたら立派でした。
この時、着地点はトンビ岩の真上に出てしまって(地形図どおりで当たり前だけど)往生しましたです。

孫太尾根、丸山で降る道を失って、青川側に降りてしまう人がけっこういるんですよね。あぶないあぶない。

>  ここには杉やモミの大木がいくつか残されており他の地点と比べて特別な場所である事がわかる。広さもあり鉱石の集積場として利用されたのではないかと思う。杉の大木をながめていると、杉が不自然に並んでいることに気づいた。とりあえず大木を追って歩く事にした。大木は草木をトラバースしながら続いている。この大木のひとつが前回のレポに書いた340cmのモミノキになる。

あれ、このモミは多志田川側でしたか。僕が測ったことあると書いたモミは青川側でした。違う木でしたね。
僕もこのあたりにスギやモミの大木が多いことには気がついていましたが、これが古道の目印だという認識はありませんでした。
いわれてみるとそんな感じかも。
このあたりのトラバースルートは去年まで追分から上がって来たボーリング調査用のモノレールのルートとして使われていました。
登山道もこのあたり、年によってルートが替わっていたイメージで牛道に合流したり離れたりを繰り返していたような気がします。

>  この古道は、多志田鉱山から鉱石を運び出す人足道と思う。これまで、草木の三光谷側のトラバースルートは注目されていたが、多志田谷側にもトラバースルートがあったのだ。多志田鉱山からの鉱石を牛道に運び出すルートは多志田滝より孫太夫尾を上り草木をトラバースして東側のコバにつながっていた事になる。

う~ん?僕は草木辺りの牛道=多志田谷側のトラバースのイメージでした。
逆に三光谷側に牛道ありました?

>  孫太夫尾とは、多志田谷より孫太尾根に登っている支尾根である。このコバは、鉱石の集積場として使われた特別な場所なのだ。重い鉱石を運ぶのに、わざわざ尾根を越えて三光谷側の牛道を使うという発想には無理がある。多志田谷側をトラバースして高さを上げずに草木を巻いたと考えるのが自然だと思う。

孫太夫尾のこの付近の三光谷側にオノブ方面に降りる道の入り口があるんじゃないでしょうか。

>  西尾本で草木の東側のコバから「牛馬の通行も充分可能で現在でも歩けるようだ。」とした道は、多志田鉱山からの人足道の事だと思う。これだけの規模で大木を配置している点から考えても間違いないであろう。ツヅラ尾に下る道ではないと思う。大規模な道をツヅラ尾から下ろしているのならば古地図などなんらかの情報が残っているはずだが、そうしたものは見つかっていない。また、大規模な道をツヅラ尾を使って下ろす理由も見つからない。少なくとも大規模で立派な道は多志田道と考えていいように思う。

孫多夫尾のツヅラ尾道は図32(1823頃)の絵図に載ってますよ。
でも、つずら道は何でこの場所なのか疑問があるんですよね。なんか理由があるとは思うんですけど。
仲蔵屋敷ってのがなんか怪しいですね。

>  草木を越え、落書きブナの所から多志田谷側に下って行く。目印となる大木は無いが下って行く。すると谷があらわれ行きづまった。惣五郎谷右岸尾根を下ったようである。孫太夫尾ではない。そして、孫太尾根を上り返し、あきらめて治田峠経由で帰った。

私はブナからまっすぐ惣五郎谷を経て多志田川まで降りました。行きづまりでロープを出しましたが。

>  孫太夫尾の確認ができていないので、再びチャレンジすることにした。今日は半年振りに福岡野から歩く事にした。上平溜というため池横に車を駐車し桃ノ木尾をめざす。くわしくは「福岡野につづく道」をヤブコギ検索旧猿人で検索してみてください。

「福岡野に続く道」なのにいつも福岡野から取り付くのはこれ如何に。
それはさておき、僕は追分から降りていく道はてっきり多志田谷に降りて不動尊あたりに出るセメント鉱山のせいで通行禁止になった登山道だと思っていました。

>  孫太夫尾は、想像していたのとは違って、広くゆったりとしたコバの雰囲気を感じさせる尾根だ。人に歩かれなくなったきれいなつづら折れの道が続いている。途中には仲蔵屋敷という地名も残されており、その名が想像できるような広々とした場所もある。

このへんに大きなミズナラ(画像)があった記憶が。

>  これだけのゆるやかな広々とした尾根が多志田谷側にあるとは思いもしなかった。これにはさすがに驚いた。尾根は順調に下り、滝の水音が近づいてくる。このあたりから道の斜度が急になってくる。あやしくなりはじめた急な斜面を下りると多志田谷にたどりついた。

このあたりにかなり大きなカツラの大木があるらしいんだけど、僕は見つけられなかったのです。
そうすると、このカツラも何かの目印ですね、きっと。

>  谷は両側を急峻な崖に囲まれ、なかなか手ごわそうである。そして、正面に幻の多志田滝が流れている。多志田滝は昔のエアリアマップには記載されているが、現在のエアリアマップには載っていない。通行禁止の区間が多志田谷の途中にあるために、意図的に削除されたのかもしれない。地図から抹消された多志田滝をながめると感慨深いものがあった。そして、この上流にいくつかの坑口がねむっている。

通行禁止にもかかわらず、下から谷を遡行してきた素行の悪い人がヤブには何人かいることを私は知っています。もちろん私じゃないですよ。

・432の右岸に小さな坑口跡がありました。たぶん水抜き口だと思うんですけど、この辺りの右岸側には黒川氏の本にも間歩跡は載っていないですね。
滝は覚えてないなあ。本流筋なんですよね。

>  多志田道は、つづら折れの昔の鈴鹿の雰囲気を持った良い道であった。多志田谷の一部が通行禁止の区間となっており谷から上ることが出来ないのと、孫太尾根からの道が2箇所斜面が落ちて寸断されているために忘れさられていったのだろう。孫太夫尾か多志田滝を意識して下りない限りたどり着く事はないだろう。

わたし桂の木を探してたどり着きましたですよ。例外中の例外?
道が切れていた記憶はないですが、当時は古道を忠実にたどったわけでなく、自分が歩きやすいところを適当に歩いただけなので、すでに道を外れた箇所を歩いていたのかも。

>  あとは孫太尾根と桃ノ木尾を下るだけである。多志田道を歩いて気づいたのは、多志田谷側の古道の目印にはモミノキが多く使われている。三光谷側の古道には見られなかったものだ。多志田谷側にはもともとモミノキが多く茂っていたのかもしれない。

思うんですけど、確かに古道跡に意図して配置された大木がある。だけど、道が開かれたころ。300~400年前くらいでしょうか。そのころこれらの木はあったのか?
あったとしてもさして大きくはないはずですよね。現在大木って言ってもそんなたいした大木じゃない。
特にモミは針葉樹の中では比較的寿命が短く200~250(300)年くらいだそうです。孫太尾根のモミはまだまだ元気そうだから、せいぜい150年くらい?

鉱山の関係者は地元の人じゃないし、お金に目がくらんでいるから、木を残すなんて余裕はないと思うのです。
そうすると木を残した人は鉱山関係の人ではなくて、鉱山が衰退した後に残された道を使っていた地元の杣人たちではなかったのではないかと考えたりするわけです。  

最近まじめに孫太尾根を歩いてません。コメに勘違い(記憶違い)があるかもしれません悪しからず。

                     秋狸
No.6: Re^2: 福岡野につづく道5   治田鉱山古道さがし   [No.5への返信]
1. 孫太尾根周辺図

-クリックすると元画像を表示-
2. アルパインガイド鈴鹿の山(昭和55年版)より

-クリックすると元画像を表示-
3. 孫太夫尾のミズナラ

-クリックすると元画像を表示-
日時: 2010/05/12 20:56
名前: わりばし ID:b1QUCQL2

こんばんは、秋狸さん。

> えらい亀レスですがわりばしさんへのレスはいろいろ資料や自分の山行を確認しないといけないので時間が掛かります。なにとぞご勘弁を。

ありがとうございます。

はげみになります。

> 今度は多志田銀山ですか。多志田銀山は南河内山より時代が古いのと、資料が少ないからなぞが多いですよね。小野田セメントのせいで入山禁止にも関係するし。

規模が大きかったわりには資料は少ないですね。

砕石場の土砂に埋まっているのもありますし。

> あんなところから取り付こうとするなんて、わりばしさんも相当変わってますねえ。

以前来た時に、この尾根を上った所に猟師の黄色テープがあったので行ってみました。

> 孫太尾根、丸山で降る道を失って、青川側に降りてしまう人がけっこういるんですよね。あぶないあぶない。

青川側に下りるのはルートがわかっていないとヤバイですよね。

> このあたりのトラバースルートは去年まで追分から上がって来たボーリング調査用のモノレールのルートとして使われていました。

そうなんだ、トラバースルートにそって訳のわからない黄色のビニールテープが何箇所かついていました。

> 登山道もこのあたり、年によってルートが替わっていたイメージで牛道に合流したり離れたりを繰り返していたような気がします。

そうでしょうね。ヤブの状態によって移り変わる事は充分考えられますよね。

今のようにどこでも歩ける状態になったのは、最近の話ですからね。

> う~ん?僕は草木辺りの牛道=多志田谷側のトラバースのイメージでした。
> 逆に三光谷側に牛道ありました?

西尾本にも書いてありますが、稜線からトラバースするあたりなんてけっこう立派な道ですよ。

最初にここを探った時に、この道が三光谷に下りていくのかと思った場所です。

> 孫太夫尾のこの付近の三光谷側にオノブ方面に降りる道の入り口があるんじゃないでしょうか。

結構急な岩尾根でしたね。

南河内山図(1774年)にあるように乳母懐から上るしかなかったのかなと思っています。

>>  西尾本で草木の東側のコバから「牛馬の通行も充分可能で現在でも歩けるようだ。」とした道は、多志田鉱山からの人足道の事だと思う。これだけの規模で大木を配置している点から考えても間違いないであろう。ツヅラ尾に下る道ではないと思う。大規模な道をツヅラ尾から下ろしているのならば古地図などなんらかの情報が残っているはずだが、そうしたものは見つかっていない。また、大規模な道をツヅラ尾を使って下ろす理由も見つからない。少なくとも大規模で立派な道は多志田道と考えていいように思う。
>
> 孫多夫尾のツヅラ尾道は図32(1823頃)の絵図に載ってますよ。
> でも、つずら道は何でこの場所なのか疑問があるんですよね。なんか理由があるとは思うんですけど。
> 仲蔵屋敷ってのがなんか怪しいですね。

西尾本に書いてある「ツヅラ尾」は尾根の名前です。

孫太尾根周辺図にあるもっと下流の尾根です。

> 私はブナからまっすぐ惣五郎谷を経て多志田川まで降りました。行きづまりでロープを出しましたが。

ロープを持ってなかったので、すなおに帰りました。

> 「福岡野に続く道」なのにいつも福岡野から取り付くのはこれ如何に。

想像力の世界です。

> それはさておき、僕は追分から降りていく道はてっきり多志田谷に降りて不動尊あたりに出るセメント鉱山のせいで通行禁止になった登山道だと思っていました。

多志田谷側に行き過ぎないように、桃ノ木尾の分岐にモミノキが立っています。

>>  孫太夫尾は、想像していたのとは違って、広くゆったりとしたコバの雰囲気を感じさせる尾根だ。人に歩かれなくなったきれいなつづら折れの道が続いている。途中には仲蔵屋敷という地名も残されており、その名が想像できるような広々とした場所もある。
>
> このへんに大きなミズナラ(画像)があった記憶が。

これですね。(3の写真)

>>  これだけのゆるやかな広々とした尾根が多志田谷側にあるとは思いもしなかった。これにはさすがに驚いた。尾根は順調に下り、滝の水音が近づいてくる。このあたりから道の斜度が急になってくる。あやしくなりはじめた急な斜面を下りると多志田谷にたどりついた。
>
> このあたりにかなり大きなカツラの大木があるらしいんだけど、僕は見つけられなかったのです。
> そうすると、このカツラも何かの目印ですね、きっと。

そうでしょうね。

>>  谷は両側を急峻な崖に囲まれ、なかなか手ごわそうである。そして、正面に幻の多志田滝が流れている。多志田滝は昔のエアリアマップには記載されているが、現在のエアリアマップには載っていない。通行禁止の区間が多志田谷の途中にあるために、意図的に削除されたのかもしれない。地図から抹消された多志田滝をながめると感慨深いものがあった。そして、この上流にいくつかの坑口がねむっている。
>
> 通行禁止にもかかわらず、下から谷を遡行してきた素行の悪い人がヤブには何人かいることを私は知っています。もちろん私じゃないですよ。

私も何人か知っています。

> ・432の右岸に小さな坑口跡がありました。たぶん水抜き口だと思うんですけど、この辺りの右岸側には黒川氏の本にも間歩跡は載っていないですね。
> 滝は覚えてないなあ。本流筋なんですよね。

アルパインガイドの地図にある滝です。

GPSだと460mと出ています。

> わたし桂の木を探してたどり着きましたですよ。例外中の例外?
> 道が切れていた記憶はないですが、当時は古道を忠実にたどったわけでなく、自分が歩きやすいところを適当に歩いただけなので、すでに道を外れた箇所を歩いていたのかも。

昔の登山道は、コルから上流側にトラバースしながら孫太夫尾に乗っています。

このトラバースルートが2箇所落ちています。

最近のと以前に落ちた箇所と2箇所です。

トラバースせずに稜線から直接孫太夫尾に向かった場合は通らない事になります。

>>  あとは孫太尾根と桃ノ木尾を下るだけである。多志田道を歩いて気づいたのは、多志田谷側の古道の目印にはモミノキが多く使われている。三光谷側の古道には見られなかったものだ。多志田谷側にはもともとモミノキが多く茂っていたのかもしれない。
>
> 思うんですけど、確かに古道跡に意図して配置された大木がある。だけど、道が開かれたころ。300~400年前くらいでしょうか。そのころこれらの木はあったのか?
> あったとしてもさして大きくはないはずですよね。現在大木って言ってもそんなたいした大木じゃない。
> 特にモミは針葉樹の中では比較的寿命が短く200~250(300)年くらいだそうです。孫太尾根のモミはまだまだ元気そうだから、せいぜい150年くらい?
>
> 鉱山の関係者は地元の人じゃないし、お金に目がくらんでいるから、木を残すなんて余裕はないと思うのです。
> そうすると木を残した人は鉱山関係の人ではなくて、鉱山が衰退した後に残された道を使っていた地元の杣人たちではなかったのではないかと考えたりするわけです。  

秋狸さんの言われるとおりだと思います。

治田鉱山関連の古道はすべて鉱山衰退後に、杣道や登山道など別の用途で使われて生き残ったと考えていま

す。目印の大木も同様の事が言えると思います。

                                               わりばし


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