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スレッド7: 【台高】樫山から地池山
No.0: 静寂の稜線に残る木馬道・トロ道
1. 左からテンネンコウシ高、ウグイ谷高、嘉茂助谷ノ頭

-クリックすると元画像を表示-
2. 大ブナの横を抜けるトロッコ道

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3. アバウト!な樫山地図

-クリックすると元画像を表示-
日時: 2010/03/19 00:39
名前: zipp ID:4lFAORRs

 以前に、『東大台伐採のトロッコ道と樫山』 http://www.yabukogi.net/forum/10962.html というレポを書いた。その内容は、大正期に四日市製紙(株)が大台ケ原の原生林を伐採した搬出道=トロッコ道を樫山側から途中まで探索したレポだ。
 当時、このトロ道のことは、ネット上はもちろん図書館でもあまり資料を見つけることはできなかった。それが昨晩秋、複数のサイトにおいてこのトロ道のことが取り上げられ、その道を途中まで辿ったレポまでがアップされるという、一躍脚光を浴びたかのような風情が現出して驚かされた。
そして、それらのサイトによって、幾つかの新情報を得ることができたのだった。
上記わたしのレポでは、樫山~岩井谷出合(猪谷)間を「インクライン」と書いたのだが、それは誤りで、この間は「木馬道」、後に「索道」へと変更されたようである(「大台ケ原・大峰の自然を守る会」http://oodai.net/ )。

 実は、今年に入りこの辺りに入るのは今日で3度目。
1度目は、発電所から木馬道を探り、樫山の飯場跡まで。2度目は、半日の時間の中で地形図の破線の吊橋辺りから白倉林道の横に残る道(残存しているトロ道か?)を辿ったりしたのだった。

【 日 付 】2010年02月20日
【 山 域 】台高南部 樫山 地池山(地池高) アララギ通り(?)
【メンバー】単独
【 天 候 】晴天
【 ルート 】《銚子川不動谷・二ノ俣谷と岩井谷の間の尾根を辿る》
07:40 銚子第二発電所駐車地 --- 08:40 窯跡のある谷 --- 09:55 トロッコ終点(樫山のツミバ) --- 10:40 尾根分岐(清五郎滝谷出合に落ちる尾根) --- 11:05~11:15 p1174 --- 11:35 p1272 --- 12:30 p1344 --- 12:55~13:35 地池山1398.69m(昼食) --- 14:05 co1320ピーク ~トロ道~ 15:45 p1272 --- 16:20 尾根分岐 ---17:25 窯跡のある谷 --- 18:00 駐車地

 きょうの予定は、前回辿ったトロ道を地池山辺りまで繋げること。つまりp1174辺りから先のトロ道を探索することと、それが出来なくとも最低限でも地池山のピークを踏むこと。

 銚子第二発電所横から登上するジグザグ道、相変わらず崩落したガレで歩きずらい道を登っていく。貯水塔に達する手前で、左に分かれる道に入る。やや高度を上げながら山腹を巻いていく道だ。
谷部分では道は消えるが、519p下の崩壊地を抜けてさらに道は続いている。
そこから尾根を回り込んだ次の谷、この左岸には炭窯跡が残る。先ほどの谷もこの谷も、水が得られる谷だ。
そしてこの窯跡の西に、小屋が建っていたのだろうと思われる、石積みされたものもある平坦地が幾つかある。その上、ここからは緩やかにジグザグを切りながら山腹を上がる道がいくつも付いている。この道は、先だっての寺谷山北の岩井谷側に残っていた道と同じものだ。木馬道なのだろう。
その道とは別に、木馬道をショートカットして登る歩道もある。
前回この道の幾つかを辿ったのだが、ある道は岩谷に遮られ、またある道は尾根の大杉のある平坦地で終わっていた。
今回はショートカットする歩道を登って行く。木馬道を横切ることがなくなると、尾根にはハーフパイプ状の掘割が現れる。たぶん、修羅などで材木を落としたんだろう。この掘割の下部終点が、大杉のある平坦地で、上部の基点には炭窯跡状の石積みがあるところだ。焚き口も無く黒ずんだ土も無いことから、窯跡ではない。
この石積みから、下でみた木馬道がまた始まっている。その道は西の谷を越えて尾根を回り込んでいるのを前回確認している。
その道を辿るのは遠回りになるので、道は無いが尾根を直接登っていくと、予想通り尾根を道が横切った。その道なりに右手へ斜上する道を辿ると、大台ケ原から続いているトロッコ軌道の終点、稜線の石で囲われたツミバに到達する。(この辺りの地図は、添付した画像を参照すべし。赤線が今回登ったアバウト!なルートだ。他のマーキングは想像にお任せする)

 今ここまで歩いてきた道が、大正期のトロッコで使用されたかどうかの確証は無い。
尾根周辺にあった緩やかな木馬道らしき道と、発電所からの山腹道ならびにツミバへの山腹道は、明らかに道としては使用方法が異なっているように思うのだ。
ただ言えることは、岩井谷出合からの岩尾根を通らずに、樫山に登れる道があったということだ。
起点を発電所からとったが、それより上流の、現在崩壊激しいコンクリ製の二ノ俣橋辺りから登る道があったのかもしれない。

 ここからは、山腹を走るトロ道を追わずに広い稜線を行く。
終点付近は、まだ照葉樹林が多く林床にはユズリハの幼樹が多い。それも、倒れこんで枝を立てるヒメシャラやら、ヤドリギをいっぱい付けたブナの大木が現れ、樫山三角点への分岐を過ぎると、落葉広葉樹に変る。
トロに携わった人々の飯場跡の平坦地を右に見てしばらくで、傾斜を強めた稜線を登りながら振り返ると、寺谷山の山容の向こうに桂城湾。
いままで意識しなかった寺谷山だが、山頂に立った後に望むと山容が堂々として見えるのは、贔屓目だろうか?

 左に清五郎滝谷出合に落ちる尾根を見送り、稜線に上がったトロ道が再度右の山腹に入るのを見送る。前回はその先の崩壊地で探索を断念したところだ。
とりあえず、稜線p1174付近のなだらかな地形まで行けば、トロ道が確認できるだろうと。
 大木もあり、眺望も良い開けたコバのp1174付近。トロ道を探すもそれらしき道型は確認できず、稜線に続いていた電信柱のガイシを見つけただけだった。トロ道はもっと標高低い山腹を巻いているのだろうか。
ここで見つけられなければ、この先何処かで稜線を右から左にトロ道が横切るはず、そこで確認すれば良いかと稜線を進む。ここから先は、まだ未踏の尾根である。
 コブを一つ越えてp1272。ヤブっぽいピークだが、右に尖った嘉茂助谷ノ頭が見え始めた。
ここ降りたコル手前は、稜線右にトロ道跡らしき平坦地があるが、確証無いまま稜線を進む。

 この辺りから落葉樹に混じる針葉樹の割合が多くなりだす。ツガやモミの仲間だ。モミはウラジロモミだろうか。
 松浦武四郎翁の乙酉紀行(1885年5月大台探査記録)によると翁は、この尾根に伸びる道を「あららぎ通り」と書き記している。
しかし、『峯には水松多く、また石楠花の下枝長くのび、這広ごりたり。然るにますます笹深く歩行なし難き故に考えふる』とし、二ノ俣谷に降りて登り返して「水松通りの尾」の峠で「あららぎ通り」と合流し、川原小屋(銚子谷もしくは不動谷)に降り木津へと抜けている。
 辞書図鑑を開くと「あららぎ」も「水松」も同じく針葉樹の「イチイ」を指す。
大台の山上台地にはイチイは僅かに生育しているらしいが、この1400m標高以下ではそれは無いだろう。ツガやウラジロモミを指していったのだろうか。
 現在の稜線上は石楠花はあるがヤブでもなく、笹も枯れ、通行の支障は無くなっている。

 堂倉山から嘉茂助谷ノ頭へと続く郡界尾根(宮川右岸尾根)に出ると一挙に展望が広がった。
熊野灘に、志摩へと続く海岸線が見渡せ、群界尾根の先には秀麗な嘉茂助谷ノ頭の山容、大杉谷を挟んで尖った山容を見せるのはウグイ谷高だ。その両山の間には、古ヶ丸山に迷岳が見えている。
テンネンコウシ高にこれから登る地池山が見え、それに被さるように日出ヶ岳から正木ヶ原が真近に見える。
またp1344を越えると、堂倉山からマブシ嶺が見渡せた。
 しかし、視線を真近に移すとこの辺りの山の荒れようは酷いものだ。
鹿避けネットの残骸があるから皆伐後に植林されたのだろうが、ほとんど育っていない。皆伐から外れ稜線に残った大木は、風倒木となり白骨化して横たわっている。
そういったところは、表土が削り取られて崩落が激しい。

 ひと登りで地池山山頂。時間を見るともう1時である。
三角点のある小広い山頂でシートを広げるも、ザックに入っているはずのビールが無いのにはショゲタ。この青空に展望を見ながらの楽しみが一つ欠けてしまったのだから。
 このピークは、点名:「地池」。エアリアでは「地池高」との表記だから、地池谷ノ高の意味なのだろう。しかし、江戸期の文献にもこの山を大杉谷(伊勢)では地池山と記載されているから、「高」なる付属的な名称では無く地池山で良いのではないだろうか。

 昼食後もさらに稜線を西へ進み(3月18日修正)、ニノ俣谷の東谷と西谷を分けるピーク、co1320m。ここも伐採と風倒木と石楠花の山。
ここから堂嵓や大台ケ原を見上げて一服し、山腹にあるトロ道を引き返すことにした。
 谷筋では崩落激しいが、使われなくなり85年ほど経っているにしてはよく残ってくれている道だ。
岩を削り、谷筋には石積跡、伐採地ではアセビのヤブが生い茂るも続いている。
樹林帯の中を山腹に沿って回り込みながら続く道は、美しく、気持ちが良い。歩くものを有頂天にさせる道である。尾鷲道しかり、登山道では味わえない古道ならではの雰囲気を持っている。
 途中、ニノ俣谷西谷にかかる男滝が見える針葉樹の森の尾根を横切った。男滝の全景が見えるところを探すも、アセビに隠れてなかなか全景は見えない。
 そのトロ道も、p1272の北のコルの谷筋に入ると崩落が激しく、その崩落を乗り越えて進みしばらく探すも、道型が消えうせてしまった。そうして、仕方なく稜線に戻ったところがp1272の北であった。
この先、西の山腹を回り込んだであろうトロ道を追う時間はもう無い。

 その後は、スタスタと稜線を辿る。
それでも名残惜しく、ヤドリギをたくさん付けたブナにもたれて一服。
朝稜線に登りついたツミバまで向かわずに、山腹の尾根に取り付きショートカットして往路の道と合流し、発電所へと降りたのだった。
山腹の照葉樹の森は、葉が陽を遮り暗い。ヘッデンを首にぶら下げ降りたのだが、ヘッデンの世話になることもなく駐車地に無事戻ってこれた。感謝。


No.1: Re: 静寂の稜線に残る木馬道・トロ道
1. 千草街道の発電所跡のガイシ

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2. 霊仙のユズリハ

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3. おじいちゃんとお父さんと孫?

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日時: 2010/03/17 23:05
名前: 秋狸 ID:VrWpwqds

ZIPPさん こんばんは

とことんまで道にこだわった大作ご苦労様です。

>上部の基点には炭窯跡状の石積みがあるところだ。焚き口も無く黒ずんだ土も無いことから、窯跡ではない。

で何に使っていたと考えているんですか?

ここくらいしか突っ込めるところが無い。




>>>道が無いところ歩くだけが芸じゃない。

前回これはZIPPさんにというわけではなく、ヤブコギ一般というか、自分自身へ書いたつもりだったんだけど。
後で読み返すとそうは読めんかもと思いまひた。

>そうそう、わたしゃ道無きところを行くと云うのぢゃないです。登山道を訂正もし、先人の生活者道を探っておりまする。

もちろん存じておりまする。


     秋狸
No.2: Re: 静寂の稜線に残る木馬道・トロ道
日時: 2010/03/18 20:47
名前: Trail Walker ID:shMuTjPY

zippさんこんばんはお久しぶりのレポですね

>  当時、このトロ道のことは、ネット上はもちろん図書館でもあまり資料を見つけることはできなかった。それが昨晩秋、複数のサイトにおいてこのトロ道のことが取り上げられ、その道を途中まで辿ったレポまでがアップされるという、一躍脚光を浴びたかのような風情が現出して驚かされた。

 zippレポの影響ですか?私もとうーぷまーずさんのれぽは見ました。

> そして、それらのサイトによって、幾つかの新情報を得ることができたのだった。
> 上記わたしのレポでは、樫山~岩井谷出合(猪谷)間を「インクライン」と書いたのだが、それは誤りで、この間は「木馬道」、後に「索道」へと変更されたようである(「大台ケ原・大峰の自然を守る会」http://oodai.net/ )。
 
 う~ん何処に書いて有るのか わかりません(^^;

 やっぱり索道ですよね、林道沿いにアンカーが有った様な?記憶違いかもしれませんが。

>  実は、今年に入りこの辺りに入るのは今日で3度目。
> 1度目は、発電所から木馬道を探り、樫山の飯場跡まで。2度目は、半日の時間の中で地形図の破線の吊橋辺りから白倉林道の横に残る道(残存しているトロ道か?)を辿ったりしたのだった。

 今年三度目ですか !静かだと思ってたらこの辺りで遊んでたのですね。
トップシークレットミッションでしたか?

> 【 日 付 】2010年02月20日
 
それでもこの日付ですか、未だこの後がありそうだな?


>  きょうの予定は、前回辿ったトロ道を地池山辺りまで繋げること。つまりp1174辺りから先のトロ道を探索することと、それが出来なくとも最低限でも地池山のピークを踏むこと。
 
 どうして目標にピークが有るのzippさんらしくないな。

>  銚子第二発電所横から登上するジグザグ道、相変わらず崩落したガレで歩きずらい道を登っていく。貯水塔に達する手前で、左に分かれる道に入る。やや高度を上げながら山腹を巻いていく道だ。

 もう発電所まで車で入れるのでしょうか?

> 谷部分では道は消えるが、519p下の崩壊地を抜けてさらに道は続いている。
> そこから尾根を回り込んだ次の谷、この左岸には炭窯跡が残る。先ほどの谷もこの谷も、水が得られる谷だ。
> そしてこの窯跡の西に、小屋が建っていたのだろうと思われる、石積みされたものもある平坦地が幾つかある。その上、ここからは緩やかにジグザグを切りながら山腹を上がる道がいくつも付いている。この道は、先だっての寺谷山北の岩井谷側に残っていた道と同じものだ。木馬道なのだろう。
> その道とは別に、木馬道をショートカットして登る歩道もある。
> 前回この道の幾つかを辿ったのだが、ある道は岩谷に遮られ、またある道は尾根の大杉のある平坦地で終わっていた。
 色々調べましたね、地図が有るので良く判ります、発電所のパイプ沿いの階段を登らなくても道が有るのですね。

> 今回はショートカットする歩道を登って行く。木馬道を横切ることがなくなると、尾根にはハーフパイプ状の掘割が現れる。たぶん、修羅などで材木を落としたんだろう。この掘割の下部終点が、大杉のある平坦地で、上部の基点には炭窯跡状の石積みがあるところだ。焚き口も無く黒ずんだ土も無いことから、窯跡ではない。

 「修羅」ってなんですか修羅場って言いますね、阿修羅なら八部衆ですが?

> この石積みから、下でみた木馬道がまた始まっている。その道は西の谷を越えて尾根を回り込んでいるのを前回確認している。
> その道を辿るのは遠回りになるので、道は無いが尾根を直接登っていくと、予想通り尾根を道が横切った。その道なりに右手へ斜上する道を辿ると、大台ケ原から続いているトロッコ軌道の終点、稜線の石で囲われたツミバに到達する。(この辺りの地図は、添付した画像を参照すべし。赤線が今回登ったアバウト!なルートだ。他のマーキングは想像にお任せする)
 なんか青線も二つ程付いてるし、これ意味有るの? 「他のマーキングは想像にお任せする」なんか意味深だなぁ(^^)

>  今ここまで歩いてきた道が、大正期のトロッコで使用されたかどうかの確証は無い。
> 尾根周辺にあった緩やかな木馬道らしき道と、発電所からの山腹道ならびにツミバへの山腹道は、明らかに道としては使用方法が異なっているように思うのだ。
> ただ言えることは、岩井谷出合からの岩尾根を通らずに、樫山に登れる道があったということだ。
> 起点を発電所からとったが、それより上流の、現在崩壊激しいコンクリ製の二ノ俣橋辺りから登る道があったのかもしれない。

 福井さんの本にも樫山へのコースが載っていたと思うけどあれは私が降りた尾根だったのだろうか?記憶がとぼしい(^^;でもあの尾根が登りやすいと思うけど。
>  ここからは、山腹を走るトロ道を追わずに広い稜線を行く。
> 終点付近は、まだ照葉樹林が多く林床にはユズリハの幼樹が多い。それも、倒れこんで枝を立てるヒメシャラやら、ヤドリギをいっぱい付けたブナの大木が現れ、樫山三角点への分岐を過ぎると、落葉広葉樹に変る。

 明るい森になるのですね、夕方になって照葉樹林に入るのはなんかいや!

> トロに携わった人々の飯場跡の平坦地を右に見てしばらくで、傾斜を強めた稜線を登りながら振り返ると、寺谷山の山容の向こうに桂城湾。
> いままで意識しなかった寺谷山だが、山頂に立った後に望むと山容が堂々として見えるのは、贔屓目だろうか?
 同じ高さで近い距離だからでは?

>  左に清五郎滝谷出合に落ちる尾根を見送り、稜線に上がったトロ道が再度右の山腹に入るのを見送る。前回はその先の崩壊地で探索を断念したところだ。
> とりあえず、稜線p1174付近のなだらかな地形まで行けば、トロ道が確認できるだろうと。
>  大木もあり、眺望も良い開けたコバのp1174付近。トロ道を探すもそれらしき道型は確認できず、稜線に続いていた電信柱のガイシを見つけただけだった。トロ道はもっと標高低い山腹を巻いているのだろうか。

 この碍子は二の俣営林宿舎の連絡用とか言ってなかったですか?

>  堂倉山から嘉茂助谷ノ頭へと続く郡界尾根(宮川右岸尾根)に出ると一挙に展望が広がった。
> 熊野灘に、志摩へと続く海岸線が見渡せ、群界尾根の先には秀麗な嘉茂助谷ノ頭の山容、大杉谷を挟んで尖った山容を見せるのはウグイ谷高だ。その両山の間には、古ヶ丸山に迷岳が見えている。
> テンネンコウシ高にこれから登る地池山が見え、それに被さるように日出ヶ岳から正木ヶ原が真近に見える。
> またp1344を越えると、堂倉山からマブシ嶺が見渡せた。

 ここ伐採で荒れてるけど景色は良いよね。


>  ひと登りで地池山山頂。時間を見るともう1時である。
> 三角点のある小広い山頂でシートを広げるも、ザックに入っているはずのビールが無いのにはショゲタ。この青空に展望を見ながらの楽しみが一つ欠けてしまったのだから。

 落としたの?入れ忘れ?落としたのだったら帰りに拾えますがねざんね~ん。

>  このピークは、点名:「地池」。エアリアでは「地池高」との表記だから、地池谷ノ高の意味なのだろう。しかし、江戸期の文献にもこの山を大杉谷(伊勢)では地池山と記載されているから、「高」なる付属的な名称では無く地池山で良いのではないだろうか。
>
>  昼食後もさらに稜線を東へ進み、ニノ俣谷の東谷と西谷を分けるピーク、co1320m。ここも伐採と風倒木と石楠花の山。
 れれ!西へ進みですよね、足上げ(^^)

> ここから堂嵓や大台ケ原を見上げて一服し、山腹にあるトロ道を引き返すことにした。

 このトロ道って大蛇ぐらの方に回り込んで行くやつかなぁ、終点には坑口が有ったから採掘物も運んだのでしょうか。

> 樹林帯の中を山腹に沿って回り込みながら続く道は、美しく、気持ちが良い。歩くものを有頂天にさせる道である。尾鷲道しかり、登山道では味わえない古道ならではの雰囲気を持っている。
 ついつい引き込まれてしまいますね。


> この先、西の山腹を回り込んだであろうトロ道を追う時間はもう無い。
 ミッション続く・・・ですね

> 山腹の照葉樹の森は、葉が陽を遮り暗い。ヘッデンを首にぶら下げ降りたのだが、ヘッデンの世話になることもなく駐車地に無事戻ってこれた。感謝。
 そうそうこの暗さがちょっとあせります、zippさんはそんな事ないですよね。

 大台ヶ原の搬出ルートは色々有るのですね、どれがどの時代だか私にはさっぱり記憶力が有りませんけど昔を発掘するのはいいですね。行きたいとは思ってるのですがシロヤシオの季節にでもなんて考えてました。
(BBじゃないTW)
 
No.3: Re: 静寂の稜線に残る木馬道・トロ道
日時: 2010/03/18 21:44
名前: わりばし ID:ut8dsuTI

はじめまして ZIPPさん。

>  以前に、『東大台伐採のトロッコ道と樫山』 http://www.yabukogi.net/forum/10962.html というレポを書いた。その内容は、大正期に四日市製紙(株)が大台ケ原の原生林を伐採した搬出道=トロッコ道を樫山側から途中まで探索したレポだ。
> 1度目は、発電所から木馬道を探り、樫山の飯場跡まで。2度目は、半日の時間の中で地形図の破線の吊橋辺りから白倉林道の横に残る道(残存しているトロ道か?)を辿ったりしたのだった。

この木材はどこに運ばれたのでしょうか?
製紙会社ですから紙になったのでしょうね。
紀州鉱山の銅が船で四日市に運ばれ精錬されたように、四日市に運ばれたのでしょうか。

> そこから尾根を回り込んだ次の谷、この左岸には炭窯跡が残る。先ほどの谷もこの谷も、水が得られる谷だ。
> そしてこの窯跡の西に、小屋が建っていたのだろうと思われる、石積みされたものもある平坦地が幾つかある。その上、ここからは緩やかにジグザグを切りながら山腹を上がる道がいくつも付いている。この道は、先だっての寺谷山北の岩井谷側に残っていた道と同じものだ。木馬道なのだろう。

炭窯は木場道以前の物ですか。

明治以降は馬が運搬の中心のようですね。
鈴鹿の牛道が華やいだ江戸時代は西日本では牛が運搬の中心だったようです。

> 今回はショートカットする歩道を登って行く。木馬道を横切ることがなくなると、尾根にはハーフパイプ状の掘割が現れる。たぶん、修羅などで材木を落としたんだろう。この掘割の下部終点が、大杉のある平坦地で、上部の基点には炭窯跡状の石積みがあるところだ。焚き口も無く黒ずんだ土も無いことから、窯跡ではない。
> この石積みから、下でみた木馬道がまた始まっている。その道は西の谷を越えて尾根を回り込んでいるのを前回確認している。
>  今ここまで歩いてきた道が、大正期のトロッコで使用されたかどうかの確証は無い。
> 尾根周辺にあった緩やかな木馬道らしき道と、発電所からの山腹道ならびにツミバへの山腹道は、明らかに道としては使用方法が異なっているように思うのだ。

道幅と運搬可能な量の違いということですか。

>  松浦武四郎翁の乙酉紀行(1885年5月大台探査記録)によると翁は、この尾根に伸びる道を「あららぎ通り」と書き記している。
> しかし、『峯には水松多く、また石楠花の下枝長くのび、這広ごりたり。然るにますます笹深く歩行なし難き故に考えふる』とし、二ノ俣谷に降りて登り返して「水松通りの尾」の峠で「あららぎ通り」と合流し、川原小屋(銚子谷もしくは不動谷)に降り木津へと抜けている。
>  辞書図鑑を開くと「あららぎ」も「水松」も同じく針葉樹の「イチイ」を指す。

評傳「松浦武四郎」をながめていてもどこの事かさっぱりわからなかったのですが、アララキ通がこのあたりの事とわかりました。少しヒントになりました。ありがとうございます。

私も古道に惹かれるものがあります。

また、いろいろ教えてください。                          

                                                わりばし

※ 最近読んだ本に「神去なあなあ日常」という物語があります。美杉の三多気の物語で、古き林業の伝統をふまえつつ書かれています。美杉の林業が高齢化していることもあり尾鷲や飯南の森林組合にも取材に行って題材集めをしたようです。美杉では大ベストセラーになっています。







No.4: zippさん、横レスごめん!   [No.1への返信]
日時: 2010/03/18 21:56
名前: グー(伊勢山上住人) ID:rHLgYPQY
参照: http://www.ztv.ne.jp/okada1/c8.html

zippさん、こんばんは~。

レポにはナンにもレスで着ない。(そしたらナニ着るの?)
横レスだけ書かさせて。


あっきー、こんばんは~。

写真クリックしても大きくならない。
でも、ちょっと体重オーバーじゃないの?
こーたろーを背中に乗せて「おんまさん パカパカ」と腕立て伏せ100回をやってるかい?

隣にいるのは「まったーちゃん」みたいに見えるけど違うかな?

こーたろーにいっぱい美しい自然を見せてやりなよ。


zippさん、お邪魔しました~。

                         グー(伊勢山上住人)
No.5: Re: 静寂の稜線に残る木馬道・トロ道
1.

-クリックすると元画像を表示-
2. ニノ又の営林小屋

-クリックすると元画像を表示-
日時: 2010/03/18 22:12
名前: niuyamada ID:IU8lY6QM

こんばんは。


> いままで意識しなかった寺谷山だが、山頂に立った後に望むと山容が堂々として見えるのは、贔屓目だろうか?

いーえ、そんなことないです。


>  大木もあり、眺望も良い開けたコバのp1174付近。トロ道を探すもそれらしき道型は確認できず、稜線に続いていた電信柱のガイシを見つけただけだった。トロ道はもっと標高低い山腹を巻いているのだろうか。

あそこのガイシにはJISマークと「AKECHI」の文字、もう一個よく分からんマークが描いてました。JISマークがあるということは戦後ですよね。「AKECHI」と「ガイシ」でぐぐってみたら「明知ガイシ」というのが出てきました。ここがガイシ事業を始めたのは昭和24年以降のようです。あの電線は梅ノ木谷の営林小屋へ行っていると思うのですが、岩井谷の国有林編入は昭和30年です。


>  この辺りから落葉樹に混じる針葉樹の割合が多くなりだす。ツガやモミの仲間だ。モミはウラジロモミだろうか。
>  松浦武四郎翁の乙酉紀行(1885年5月大台探査記録)によると翁は、この尾根に伸びる道を「あららぎ通り」と書き記している。
> しかし、『峯には水松多く、また石楠花の下枝長くのび、這広ごりたり。然るにますます笹深く歩行なし難き故に考えふる』とし、二ノ俣谷に降りて登り返して「水松通りの尾」の峠で「あららぎ通り」と合流し、川原小屋(銚子谷もしくは不動谷)に降り木津へと抜けている。
>  辞書図鑑を開くと「あららぎ」も「水松」も同じく針葉樹の「イチイ」を指す。
> 大台の山上台地にはイチイは僅かに生育しているらしいが、この1400m標高以下ではそれは無いだろう。ツガやウラジロモミを指していったのだろうか。

アバウト!な地図で樫山南の青線は「水松通りの尾」への道型ですか?ここから峠を越えて、さらにマブシ嶺を越えて木組に通じてたんでしょうか?


>  ひと登りで地池山山頂。時間を見るともう1時である。
> 三角点のある小広い山頂でシートを広げるも、ザックに入っているはずのビールが無いのにはショゲタ。この青空に展望を見ながらの楽しみが一つ欠けてしまったのだから。
>  このピークは、点名:「地池」。エアリアでは「地池高」との表記だから、地池谷ノ高の意味なのだろう。しかし、江戸期の文献にもこの山を大杉谷(伊勢)では地池山と記載されているから、「高」なる付属的な名称では無く地池山で良いのではないだろうか。

大和谷のあたりにも「地池」って地名があるけど何から来てるんでしょうね。

No.6: Re^2: 静寂の稜線に残る木馬道・トロ道   [No.1への返信]
1. 伸びやか稜線と電信柱

-クリックすると元画像を表示-
日時: 2010/03/18 23:58
名前: zipp ID:tNYwRIDs

 秋狸ポン、こんばんは~。
コウちゃん連れて残雪散歩ですか~?

> >上部の基点には炭窯跡状の石積みがあるところだ。焚き口も無く黒ずんだ土も無いことから、窯跡ではない。
> で何に使っていたと考えているんですか?
 修羅って書いたはずだけど…。
木馬道付けられず、傾斜のキツイ所は木を組んだ修羅で材木を飛ばします。炭焼きでは基本的に土底のままですが、落としとか云ったかな?

> とことんまで道にこだわった大作ご苦労様です。
> >>>道が無いところ歩くだけが芸じゃない。
> 前回これはZIPPさんにというわけではなく、ヤブコギ一般というか、自分自身へ書いたつもりだったんだけど。
> 後で読み返すとそうは読めんかもと思いまひた。
 ん?気にしてくれてたんだ(^^;。当人はぜんぜん気にしてませんけど

 霊仙のユズリハ、姫でも蝦夷でもないユズリハですね。ガイシは、白石のガイシかな?と思ったけど、白石のガイシは色付いてなかったから、もっと年代は後のものですね~。

No.7: Re^2: 静寂の稜線に残る木馬道・トロ道   [No.2への返信]
1.

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日時: 2010/03/19 22:08
名前: zipp ID:4lFAORRs

 TrailWalker さん、こんばんは。

>  zippレポの影響ですか?私もとうーぷまーずさんのれぽは見ました。
 わたしのレポは2007年ですから、違うでしょう。昨秋は、blgの当該記事のカウンタが随分上がりましたが(^^;。
たぶん、「廃道」サイトの影響かと。

>  う~ん何処に書いて有るのか わかりません(^^;
 根気よく探してみてください(^^;。

>  やっぱり索道ですよね、林道沿いにアンカーが有った様な?記憶違いかもしれませんが。
 小谷小屋川出合の対岸でしょ。アンカーというより、対岸に渡る橋でもあったんじゃないのかな。

>  今年三度目ですか !静かだと思ってたらこの辺りで遊んでたのですね。
> トップシークレットミッションでしたか?
 この辺りに入り浸りです

>  どうして目標にピークが有るのzippさんらしくないな。
 ぎくっ!!

>  もう発電所まで車で入れるのでしょうか?
 発電所まで入れるんだけど、また工事やっているよ。しばらく土曜日は行かない方がいいかも。

>  「修羅」ってなんですか修羅場って言いますね、阿修羅なら八部衆ですが?
 わからないことがあれば、緑水さんよろしくネット神社でぽんぽんぱっ!

>  なんか青線も二つ程付いてるし、これ意味有るの? 「他のマーキングは想像にお任せする」なんか意味深だなぁ(^^)
 そうそう意味芯…。って樫山南尾根をT.Wさん降りているじゃないの。

>  福井さんの本にも樫山へのコースが載っていたと思うけどあれは私が降りた尾根だったのだろうか?記憶がとぼしい(^^;でもあの尾根が登りやすいと思うけど。
 伊勢の狸さんの本には、樫山はないでしょ、たぶん。
樫山南尾根は、嵓にも出会わず登りやすいですね(降りたことしかないけど)。ただ、発電所からは遠回りで時間が掛かる。

>  この碍子は二の俣営林宿舎の連絡用とか言ってなかったですか?
 これは電力ですよ。今は無き銚子第一発電所からの送電線(・・・と書きましたが、これは多分間違ってます(3月19日追加書き込み)。
niuyamadaさんによると、岩井梅ノ木谷の小屋じゃないかとの話です。

>  ここ伐採で荒れてるけど景色は良いよね。
 景色はいいよね~。ランチは地池山頂だったけど、ここの方が良かったと思ったもん。

>  このトロ道って大蛇ぐらの方に回り込んで行くやつかなぁ、終点には坑口が有ったから採掘物も運んだのでしょうか。
 あれは、トロ道の隧道でしょ。…結局使われずにインクラインになったみたいだけど。

>
>> 樹林帯の中を山腹に沿って回り込みながら続く道は、美しく、気持ちが良い。歩くものを有頂天にさせる道である。尾鷲道しかり、登山道では味わえない古道ならではの雰囲気を持っている。
>  ついつい引き込まれてしまいますね。
 感じのいい道です。いたるところで崩壊してたりしますが(^^;。

>> 山腹の照葉樹の森は、葉が陽を遮り暗い。ヘッデンを首にぶら下げ降りたのだが、ヘッデンの世話になることもなく駐車地に無事戻ってこれた。感謝。
>  そうそうこの暗さがちょっとあせります、zippさんはそんな事ないですよね。
 いやいや、やっぱ照葉樹林帯だからと早めに準備しましたよ。ここにはないけど、植林帯も暗いから早めに準備します。

>  大台ヶ原の搬出ルートは色々有るのですね、どれがどの時代だか私にはさっぱり記憶力が有りませんけど昔を発掘するのはいいですね。行きたいとは思ってるのですがシロヤシオの季節にでもなんて考えてました。
 「大台ヶ原の搬出ルート」って?
あぁ、昭和の戦前から戦後の大杉谷周辺のトロッコ道の事を云うてるんですね。
シロヤシオは、尾鷲道の方がいいかもと思ったりするかも(^^;。
No.8: Re^2: 静寂の稜線に残る木馬道・トロ道   [No.3への返信]
1. 地池山(右)と大台ケ原

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2. 石積み残るトロ道

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日時: 2010/03/19 22:28
名前: zipp ID:4lFAORRs

 わりばしさん、こんばんは。

> この木材はどこに運ばれたのでしょうか?
> 製紙会社ですから紙になったのでしょうね。
> 紀州鉱山の銅が船で四日市に運ばれ精錬されたように、四日市に運ばれたのでしょうか。
 四日市製紙は、本社は四日市でしたが、工場は静岡県内だったかと思います。当然船便ですね~。

> 炭窯は木場道以前の物ですか。
 この道の途中の窯跡はここだけでした。もしかしたら同時期のもので現場で炭を焼いて調達していたとか。

> 明治以降は馬が運搬の中心のようですね。
> 鈴鹿の牛道が華やいだ江戸時代は西日本では牛が運搬の中心だったようです。
 牛も馬も口があるからやっかいです、その点、木馬は口が無い
土倉古道のでは、木材搬出に牛が使われたことがあったみたいです。

> 道幅と運搬可能な量の違いということですか。
 そうそう、道幅と作りが違います。

> 評傳「松浦武四郎」をながめていてもどこの事かさっぱりわからなかったのですが、アララキ通がこのあたりの事とわかりました。少しヒントになりました。ありがとうございます。
 武四郎翁の大台ケ原の足跡を辿るのは、もぐらもち氏が編集、松浦武四郎記念館が発行した「大台紀行集」がいいかと思います

> 私も古道に惹かれるものがあります。
 わりばしさんの青川周辺のレポ、興味深く拝見しておりますです。レスは出来ていないですが、これからもよろしく!

> ※ 最近読んだ本に「神去なあなあ日常」という物語があります。美杉の三多気の物語で、古き林業の伝統をふまえつつ書かれています。美杉の林業が高齢化していることもあり尾鷲や飯南の森林組合にも取材に行って題材集めをしたようです。美杉では大ベストセラーになっています。
 林業はどこも高齢化ですよね。引本の速水林業みたいにできるところは、まずないですもん。
美杉といえば、製材工場がおが屑発電をやっていましたね。見学に行ったことがあります。
機会があれば、その本を手にとって見てみたいものです。

No.9: Re^2: 静寂の稜線に残る木馬道・トロ道   [No.5への返信]
1. 寺谷山(右)

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2. 稜線のガイシ

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日時: 2010/03/19 22:35
名前: zipp ID:4lFAORRs

 niuyamadaさん、こんばんは。

>> いままで意識しなかった寺谷山だが、山頂に立った後に望むと山容が堂々として見えるのは、贔屓目だろうか?
> いーえ、そんなことないです。

 国道42号線を南下して行って、真っ先に目に飛び込むのは、高山です。急激に稜線が落ち込むのと岩稜がよく目立ってます。そのまま視線を奥に移すと、口坊主に八町滝が目立ちます。んでスルーしちゃうんですよね、寺谷山。


> あそこのガイシにはJISマークと「AKECHI」の文字、もう一個よく分からんマークが描いてました。JISマークがあるということは戦後ですよね。「AKECHI」と「ガイシ」でぐぐってみたら「明知ガイシ」というのが出てきました。ここがガイシ事業を始めたのは昭和24年以降のようです。あの電線は梅ノ木谷の営林小屋へ行っていると思うのですが、岩井谷の国有林編入は昭和30年です。

 ガイシが、ニノ俣林鉄の不動谷沿いの片マンボに続いてました。清五郎滝谷の出合の取水堰堤の為のものか、それともその出合い上流の飯場群の為のものだったのか不明です。
そこから岩稜の尾根を伝って稜線へ伸びているんでしょうね。
この林鉄が46年からですから、戦後ですね。


> アバウト!な地図で樫山南の青線は「水松通りの尾」への道型ですか?ここから峠を越えて、さらにマブシ嶺を越えて木組に通じてたんでしょうか?

 この道型を先日辿ろうとまたこの辺に入ったんですが、不動谷に思わぬ水量があり、ズブヌレになってしまい。川原でメシ喰って帰ってきました(^^;。
 ん?なんかヘンなルートですね?
・木津~水無峠~木組峠~木組、大谷~オチウチ越(マブシ峠・雷峠)~稜線~木組峠。
・木津~川原小屋~水松通りの尾~稜線~ニノ俣谷源流部~大台ケ原
    =---( あららぎ通り )---=
 ですよね。

> 大和谷のあたりにも「地池」って地名があるけど何から来てるんでしょうね。
 ホンマになん何でしょうね?二つの谷に共通しているのは、源流が国境になっていることなのですが。はてさて?

No.10: Re: zippさん、横レスごめん!   [No.4への返信]
日時: 2010/03/20 06:54
名前: まったー放るん! ID:yZoUFGuE

> zippさん、おっは~。

まったーです(*^_^*)今日もお出かけかしら?

> 横レスだけ書かさせて。×2
ぐー茶間 おっはー     たぬチャンオッハー
>

> 写真クリックしても大きくならない。

たぬちゃんの気遣い?

 
> でも、ちょっと体重オーバーじゃないの?
> こーたろーを背中に乗せて「おんまさん パカパカ」と腕立て伏せ100回をやってるかい?

多分 やっているんでしょうね。

> 隣にいるのは「まったーちゃん」みたいに見えるけど違うかな?
やっぱりわかりますか。
 14日、とある夫婦から誘いを受け藤原岳でした。(結局はドタキャンで単独でしたけど・・)
たくさんの人がおり天気も良くあの日は、御岳は元より槍、穂高もはっきりと見えました。

これだけの人がいれば顔見知りも何人かいるに違いないと思っておりました。


 でもお会いする人初めての人ばかりで、又そのうち登ってくるだろうと小屋の前で思っていましたら、
幸ちゃんを背負ったたぬちゃんが、突然現れ、感動で思わずたぬちゃんと声をかけていました。

 その後は、まったーを敵か味方か判別に苦労している幸ちゃんと、それを背負って歩くしんどそうなたぬちゃんとの
楽しい道中でした。
 

> こーたろーにいっぱい美しい自然を見せてやりなよ。
自然と、人間ウォッチャー楽しんだ事でしょう。
 
> zippさん、お邪魔しました~。

ぐー ちゃま お邪魔 しました~ 。                     
  では、まったー!

 さあ仕事仕事  休みが欲しい~

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